ちょっと自由に生きるコツ

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ちょっと自由に生きるコツ

見方を変え気持ちを変えるとちょっと自由になれるかも。 ビジネスマン向けのメソッドから、日々の雑感までを綴っていきます。

はじめて会社を辞めようとしたときの話・・・

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はじめに

これまでに、何度か会社を辞めようと思ったことがあります。

「もう辞めよっかな」という軽いのから、実際に辞表を書いたときもあります。

新卒で入社してから今が丁度30年目、結果的には辞めることなく、また、馘首されることもなく、今日に至っておりますが、ふりかえってみると「幸せだったなぁ」と思えます。

 

はじめて会社を辞めようと思ったとき

さて、一番はじめに会社を辞めようと思ったのは、

こんな会社、辞めてやる! - 会社でちょっと自由になるためのコツ

で書いたとおり、入社3年目のとき、グループ会社への出向を命じられた時でした。

 

グループ会社への出向

その当時、出向というのは、いわゆる姥捨山」行きのようなもので、退職間際の人、全く仕事の出来ない人、人間性に難があり過ぎる人、そして、問題を起こした人、などなどが対象でした。

逆から見れば、まともな人は出向対象にはならなかったのです。

そして、例外を除いて片道切符、社内的には「無期懲役」と言われるような扱いでした。

 

説明がない

自分では、人並みに仕事をこなしていたつもりでした。それが、「お前はダメ社員」の烙印を押されたわけです。

内々示の際、上司から「自分は理由を聞かされていないので、よく分からない」と言われました。

(→私:それぐらい、ちゃんと確認してくださいよ!→上司:いやぁ、もう決まったことだしなぁ・・・→私:ダメだこりゃ)

 

さらにその上に直接、聞いても「新天地でがんばってくれ」(→私:それ説明になってませんけど→上:説明は以上→私:ため息・・・)と言われるだけ。

 

周囲の反応

周りの人は明らかにキョリを置くようになりました。

声をかけてくる人も、

 「お前、どういうこと?」

 「何か悪いことをしたのか?」

と聞いてくる人もいました。

中には、「ご愁傷様」と手を合わせる人まで・・・。

本当に、落ち込みましたね。

 

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辞める勇気がなかった

自分としては、全く訳が分からないまま、「わずか入社3年目(実質的には2年と2ヶ月で)で、会社人生に蓋をされてしまった」との思い。

「このまま会社にいても、もう先はない。だったら、いっそ辞めてしまおう」と考えていました。

 

ただ、ふんぎりを付けることが出来なかった。

それには、会社を辞めるとの報告に実家に戻ったとき、父から「お前の好きなようにすれば良い。ただ、石の上にも3年と言うけどな」と遠まわしに諭されたことや、後輩から「会社なんか、どこに行ったって同じ」とアドバイスされたと言うことがあります。

 

また、30年近く前のこと、第二新卒といった言葉がない時代ですから、3年持たなかった奴を雇ってくれるところなど、ほとんどありませんし、また運よくあっても、雇用条件は格段に下がるのは分かりきっていたから、だと思います。

 

結局は、自分に「辞める勇気がなかった」、この一言につきます。

 

まずは1年間・・・

自分に対する言い訳として、

「まずは1年間、がんばってやってみよう。それで、どうしても無理だと思ったら、そのときこそ辞めよう」

と考えることにしたのです。

 

出向してみて、それなりに苦労しました。

一人当たりのカバー範囲がとても広かったので、仕事が忙しいのはもちろんですが、勉強しなければならないことが、とても多くて大変でした。

そして、いわゆる立場的な「悲哀」も実際に経験し、精神的につらい日々が続きました。

 

ただ、プロパー社員の方々は、実に一生懸命仕事をしていること、さらに、本体では「ダメ社員」扱いされていた人も、がんばって仕事をしているのを見て、いつまでも甘いことを言っていられないと考えるようになりました。

 

人事異動の理由

さて、出向して大分経った後に、「なぜ、自分が出向?」の理由を教えてもらいました。

それは、

「事業拡大で人手が足りないが、自前で採用するのは困難。なので”動ける若手”を出向させて欲しい」

との要望があり、それに応えたものだったそうです。

 

要は、若い人であれば、誰でもよかったのです。それがたまたま私だっただけのこと。

 

これを聞いたときには、本当に愕然としましたね。

自分にとっては、辞める辞めないの大問題だったことが、実は「たまたま」だったわけですから。

 

当時の方針としては、たかだか若手一人の人事異動、その理由を説明する必要などない、ということだったのでしょう。

まさに会社の人事のシビアな側面を知った思いでした。

あるいは、適当に決めた人事だったので、「たまたま、お前になった」とは言えなかったのかもしれませんが・・・。

(今は、異動に際しては、十分な説明と動機付けを行っています。また、出向が「姥捨て山」うんぬんは、丁度方針を切り替えるタイミングだったようで、以降、若手・中堅はガンガン出向しています)

 

いずれにせよ、一時的な感情で重大な判断をすべきではない、という教訓になりましたね。

 

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おわりに

ちなみに、2年3ヵ月後、本体に出向復帰となりました・・・。

片道切符ではなかったわけです。

この間に学んだ「仕事の実践的な知識」や、会社間の力学的構造、また、立場による考え方の相違などは、それ以降の会社人生において、大変重要な財産となったのです。

そして、結果として、自分なりに満足できる今があります。

「感情に流されて、辞めなくて良かった」と、心から思っています。