芥川賞『コンビニ人間』(村田沙耶香・著)を読んで印象深かった3つのこと

 

今夏の 芥川賞受賞作品である『コンビニ人間』を読みました。

実際に、今もコンビニでバイトをしている著者・村田沙耶香さん。

受賞決定日に、TVで記者会見の様子が放映されていました。

記者からの質問に対して、

「率直に嬉しいです」(受賞の感想を聞かれ)

「いやぁ、(コンビニの)オーナーに許可をもらわないと」(どのコンビニチェーンでバイトをしているのかを聞かれ)

などと笑顔で応える様子は、そのルックスもあいまって、どこにでも居そうな普通の女性との印象を持ったのです。

 

私的偏見ですが、芥川賞の受賞者には、変わった人が多いというイメージがあります。でも、この様子を見て、村田沙耶香さんに関しては「まともな人」と思ったのですね。

ところが、『コンビニ人間』を読むと・・・。

以下、多少のネタバレを含みつつ、読んで印象深かった3つのことを記したいと思います。

 

『コンビニ人間』のあらすじ

『コンビニ人間』のあらすじは、

ーーーーーーーーー

子どものころから、普通ではない考え方と行動をする主人公、古倉恵子36歳未婚。

自分のどこが変なのか全く分からないものの、親に迷惑をかけないため、無口を通す。

大学生の時、たまたま目に入ったオープン前のコンビニに惹かれ、アルバイトを始める。そこで、自分の「存在」をしっかりと認識するようになる。

コンビニで働き続け、気がつくと18年が経過。

周囲からの就職や結婚をしないことに対する失礼極まりない質問も、独特の感性で受け答えしていた。

そして、男性の新人バイト白羽と出会う・・・。

ーーーーーーーーー

ざっくり書くとこんな内容です。

 

 村田沙耶香さんは、やっぱり変わった人?

読んでいて、まず感じたことは、実に「映像的」な小説だということ。

書かれている内容・・・、その場面であったり、人物であったり、会話をしているシーンであったり、それら全てが頭の中で直接、映像化されていく感覚がありました。

そして、主人公は、著者である村田沙耶香さんご本人そのものが登場してきたのです。

作中での主人公は、まさに「変わった人」。

喜怒哀楽という感情(特に怒)に乏しく、他者の心理理解も不得手。

そして、目的を達成するために直裁的な行動を取るが、それが極めて非常識と言う人です。

小鳥の死骸を見たとき、それを「食べよう」と言って母親から咎められるくだりがありました。

漫画『寄生獣』で、謎の生物に寄生され同化が進んでいく主人公が、事故で亡くなった子犬を「ただの肉の塊」と評したシーンを思い出しました。

こちらでは、人間から違う生き物に変わっていく様子を、感情の欠落によって描いていましたが、『コンビニ人間』の主人公・恵子は、生まれながらにして、そのような人間だったわけです。

 

記者会見での印象は「まともな人」でした。

でも、私小説”風”である本作品、主人公≒著者だとすると、著者・村田沙耶香さんは、やっぱり変わった人なのかなぁ、と思いました。

作家仲間の間では、”クレイジー沙耶香”というあだ名が付けられているようですし。

 

コンビニ人間とは究極の会社人間か?

主人公が、大学生でバイトを始めたとき、同じ職場の人間を見た感想が、こう述べられています。

いろいろな人が、同じ制服を着て、均一な「店員」という生き物に作り直されて行くのが面白かった。その日の研修が終わると、皆、制服を脱いで元の状態に戻った。他の生き物に着替えているようにも感じられた。

制服によって同じ外見となり、マニュアルによって同じ所作を行う。

コンビニに限らず、勤めに出ると、その組織のルールに従わざるを得ないわけで、それはある種の画一化を受け入れることでもあり、さらに、自分を”薄く”して、組織人を”演じる”わけでもあります。

そういう意味では、多くの人が大なり小なり、同じような境遇にあるといえます。

ところが、本作では「生き物に作り直される」と表現されているように、全面的な「変身」として捉えられているのです。

主人公自身は、コンビニ店員として、それ以上の「転生」を自覚します。

 そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。

そして、最後には、自分が何者かに気づくのです。

 気が付いたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。

人間としていびつでも、たとえ食べていけなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在しているんです。

 

俗っぽい言い方をすれば、 究極の会社人間。

前段で、主人公は、食べるもの・飲むものも全て、コンビニで買ったものだから、生物学的な意味で、「細胞は全てコンビニから出来ている」という表現はありましたが・・・。

これらを読んでいくと大変な違和感を感じますし、さすがにこんな人間はいないだろうと思ったのです。

 

でも、良く考えてみると、例えば、企業の創業オーナーの中には、本人が自覚しているかどうかに関わらず、これに近い感覚の人はたくさんいるのかもしれない、との思いも持ちました。

また、主人公は、疎外感を持ちながら生きてきたけれど、コンビニという生きる場所を見つけたのです。

「会社以外に居場所がない」という人は、もしかしたら、同じような意識を持っているのかもですし、「どこにも居場所がない」という人よりは、よっぽど幸せなのかもしれません。

 

 コンビニという職場

まずは、主人公によるコンビニで働く人の見られ方。

コンビニで働いていると、そこで働いているということを見下されることが、よくある。興味深いので私は見下している人の顔を見るのが、わりと好きだった。あ、人間だという感じがするのだ。

ついで、白羽という新人バイトの発言。

「この店ってほんと底辺のやつらばっかですよね、コンビニなんてどこでもそうですけど、旦那の収入だけじゃやっていけない主婦に、大した将来設計もないフリーター、大学生も、家庭教師みたいな割のいいバイトができない底辺大学生ばっかりだし、あとは出稼ぎの外国人、ほんと底辺ばっかりだ」

この白羽というやつ、はっきり言って、どうしようもないクズです。

そのくせ、上から目線で周りを見下した発言を繰り返します。読んでてムカムカして仕方ないのです。

「ホネに皮が張り付いている」という風貌も含め、嫌悪感を抱かせるよう仕向けているのは見え見えだったのですが・・・、著者の意図にまんまと嵌ってしまいました。

 

さて、実際、コンビニ業界は、慢性的な人手不足ですので、様々な働き手がいるのでしょう。

その中には、もしかしたら白羽のように、どうしようもない人間が混じっているかもしれません。

ただ、働いている人の属性や働く理由は様々であるにしても、私は「コンビニ店員の質は、格段に上がっている」と思っています。

10年以上前までは、「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」といった基本的な声掛けすらできない人や、終始、つまらなさそうにしている店員が大勢いましたが、今、態度の悪い店員を見ることは、まず、ないですよね。

かえって、昔ながらの商店で、家族だけ(それも老夫婦)で営業している所のほうが、態度が悪いことが多いと感じています。

 

作品の流れから言って、コンビニという職場を社会的に低く書く必要はあったのでしょうけれど、言いすぎと言うか・・・、とにかく違和感を持ちました。

もっとも、独身者や非正規労働者に対する「言葉」も、辛らつな内容が多かったので、コンビニだけを貶めていたわけではないのですけど、ね。

・・・・・・・・・・

『コンビニ人間』を読んで印象深かったことを、とりとめもなく記しました。

この本、読み手によって持つ感想はマチマチだと思います。

あなたがお読みになったら、また、違った感想を持たれることでしょう。

まだ、読まれていない方は、話題作ですし、サクッと読めますので、一読してみてはいかがでしょうか。

 

<追記>

村田沙耶香さんは、セブン-イレブンでお勤めなんですね。

お店でサイン会を開催、大好評だったようです。

こういう記事を見ると、嬉しくなってきます(笑)。

では、また。